私が子供のころは、遊んでいる最中にでも悪いことをしちゃおかな?なんて思ったとしても
と考えたものです。
この
- 神様が見ている
- お天道様が見ている
という言葉は、悪いことをした時に、たとえ他の人にバレなくても、神様・お天道様はしっかりとその悪さを見ている。
だから、悪いことはしてはいけない。という戒めです。
一見古いようにも思えますが、現代の子供にこそ必要な言葉ではないかと感じています。
なぜなら、この 「神様が見ている」「お天道様が見ている」 という言葉は、人間が誰でも持っている良心に沿って行動をするための呪文のようなものだと思っているからです。
子供を持つ親なら誰でも、いじめという問題に不安を抱えます。
その不安は、自分の子供がいじめの被害者にならないか?というものです。
この被害者にならないか?と同じくらい加害者になってしまうことも親としては心配すべきことです。
でも、この 「神様が見ている」「お天道様が見ている」 呪文を子供がいつも意識できるような身近なものであったなら、いじめをすることはいけないことであると自分の良心 が加害者となる一歩をふみとどませるような気がすのです。
これは、誰にでも当てはまる例として上げましたが、そのほかにも
- 乗り物の中でお年寄りに席を譲るとか
- 教科書を忘れた人に見せてあげるとか
当たり目のことを当たり前にできるるようになれるきっかけを作ってくれる言葉だと思うのです。
ですから、なにか悪いことをしようと考えているときにふと頭をよぎって良心を呼び起こしてくれた 「神様が見ている」「お天道様が見ている」 というこの言葉を自分の子供にも伝えるべきと考えています。
※おそらく私の父母に教わったというよりもおばあちゃんにいわれていたような気がします。
もう一度 「神様が見ている」「お天道様が見ている」 という言葉を子供に伝えなおしてみませんか?
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